侍れっどの明日できることは明日やれ

徒然なるままに筆を書き連ねます。

20代の生き方、30代の生き方、40代の生き方を考える

こんにちは。れっどです。

今日はDevLOVE Advent Calendar 2019の24日目として書きます。

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あーメリークリスマス!!イヴ!!ですねwww

(今年から12/23が休みではなくなったのでなんかあんまり実感がない子です)

 

「それぞれの10年、これからの10年」というテーマからは少しそれますが、来年(度)に40を迎えるという意味でちょうどいいのでどんな生き方をしてきてどんな生き方をしていこうかをつらつらと書いてみようと思います。

 

バックグラウンド

2003年経済学部卒の文系SEです。富士通株式会社に新卒入社で3年弱、株式会社野村総合研究所に12年強、レバレジーズ株式会社に1年半という謎な経歴を持っていますw

 

20代の生き方

20代。。。何をしていただろうw

自分自身が文系学部卒ということもあり、負い目を感じて社会人になったことは否めません。富士通時代の周りの同期は京大院卒、東大学部卒などなど超つよつよな学歴に囲まれていたのもあり、かすみましたよね。

ほぼ初心者からエンジニアを始めて、4月後半からのエンジニア集合研修でペーパーテストだけはいい点が取れてしまいクラス分けでデキる人クラスに入ってしまうという。。。そこから周りは学歴云々だけでなく、エンジニアとしてもつよつよな人たちに囲まれることになり、詰んだ感ありました。

 

初任給でセカンドディスプレイを買い、社会人初めてのゴールデンウィークは部屋にこもって血を吐く勢いでJavaの習得に勤しんでいたのを思い出しますwww

 

配属先が2003年当時では最先端だったミッションクリティカルな基幹システムにLinuxを適用していく部署だったのもあり、若さとチャレンジしかなくて必死にコーディングをし続けた初年度でした。

たぶん。。。NRIで一年目が10000step書きなさいとかやっていたけど、僕はその10倍くらいは書いたんじゃないかと思います。stepで測ったことないですけどwww

 

実は、2004年にはすでに僕はコミュニティデビューをしています。初めてのコミュニティイベント参加は大井町のきゅりあんで開かれたオブジェクト倶楽部(現オブラブ)じゃなかったかな。午前中にスーツで行ってあまりに場違いでお昼休みに家に帰って(当時大井町に住んでいた)私服に着替えてきましたw

その時からの繋がりで今も仲良くしていただいている方々が実は僕のFacebookには多数います。当時はまだmixiとかメーリングリストだったのかなぁ。

 

そこから、秋には日本XPユーザグループ(XPJUG)のスタッフになるのですが、これもなにもない自分がどうしたらコミュニティに強く関わることでブランディングできるかを考えての結果なんですね。いやらしい動機ですが、当時は本当に自分の自信をもてる分野が見つからず、自尊心も人一倍強かったためにそういう行動をとったのでした(しかも初めて参加したスタッフ会議が参加していないXP祭りのふりかえりというwww)。

ただ、動機というのはいつも後付けの理由で言い訳なので正直どうでもよく、僕はそこからスタッフ業を純粋に楽しんでいたし、仲間も増えたし、当初の野望じみたものを叶える気持ちは一切なくなりました。

下手くそでしたが、チャンスを手に入れるために自分を鼓舞するという意味で理由付けしていただけだと思うと、セルフコントロールの一種かなと思えます、今ならw

 

余談ですが、やはり何かしらで自分を武装しないと怖かったのは事実で、それが結果的にJava、LPICを始め、高度情報処理6冠、販売士、秘書検定、ビジネス実務法務検定、簿記などの資格取得に走った理由の一つではあったなと思います(当時はそれで満足しましたが、結果的にそれを武器に以降の転職に役に立った実感はないですw)。

 

そうやって、日本Androidの会、PFP関東、DevLOVE、すくすくスクラムなどのコミュニティをいくつか掛け持ちで参加していましたが、正直やりすぎました。あれもこれも興味がちょっとでもわいたものや知り合いがやっているものにどんどん飛び込んでいくと、消化不良を起こすんですね。。。

そこから自分の中ですぱっと割り切って厳選するようになりました。

と同時に、いろいろなことに手を出すのではなく、自分もLTというハードルの低い露出方法がエンジニア界隈には古くからあることを逆手に取って、割と狭い世界で深く関わることを意識しました。

 

時代がmixi→Twitter→Facebook(今またTwitterかえってきてますね)とSNSの変遷がありながらも、その道の第一人者のような人たち、いわゆる重鎮といえる人たちとつながることができたのは、選択と集中により僕が彼らを知っているという一方的なカタチでなく、双方向のものとして確立できたことが大きいなと思います。

 

たまたまですが、その中で侍塊sというユニットがバズってくれたことも幸いしましたw

おかげさまで今でも本名以上に「れっどさん」と呼ばれることが多いですw 

 

狙っていないものとしては、XPJUGの一年で一番のイベントであるXP祭りで、ある日LTの司会をしたんですよね。

多分、それまでの司会と違ったのは、つなぎの20秒とか30秒も含めて60分全体を司会するっていうところだったと思います。全然意識したつもりもないし、前説的なところだけ昔はすごくネタ仕込みしていましたけど、他人のLTを聞いて、コメントして、フォローして、次につなぐっていうボクシングのラウンドをつなぐようなことをしたら評価いただきました。この認知も未だにかなり強いなと自分では感じます。

 

僕の20代はインプットの厳選とライトなアウトプット、細くとも広いネットワーク構築だったと言えるかなと思います。

 

30代の生き方

30代になって強く感じたのが、30前半は仕事も一段階ギアが上がったようになり、同時に自分の時間の作り方がすごく重要だなということです。

僕はSIerにいたので、数人のチームというわけにはいかず、一番末端まで含めれば100人を超える人たちと一緒に開発し、そこに相対するお客さん、その先にエンドユーザがいるという構図です。

気を遣い、意識をすることが何十倍にもなっていきます。

と同時に、エンジニアとして自分の視野が狭くなることも恐れてきます。情報のインプットもそうですが、手を動かす時間が減ってしまいがちなので。

 

幸いにして、僕の30代は、20代にたまたま築いたいろいろがいい方向に寄与してくれました。

自分自身がさまざまなところに直接出ていかなくても、20代の時に築いたネットワークから勝手に情報が入ってくるようになったなという感じです。

特に、先に書いた「その道の第一人者のような人たち」の情報は下手なネットの記事に翻弄されるでもなく、見解や意見も含めて僕にはフレッシュな情報として入ってくるし、知りたいことやわからないことはその場で解消させることができたと思っています。

 

これは、社外に限った話ではありません。かつてDevLOVE関西で話した『大きなSIerの中で「アジャイルな開発で飯を食う」までの歩み』にも書きましたが、外からのループでつながる社内もありました。

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僕が幼い頃から転校をしたり、誰も知っている人のいない高校に行きたかったり、なんのつてもなく転職したりしているのは、同時にそこで生きていくためにはネットワークがものすごく大事だということを無意識に理解するきっかけになっているのかもしれません。

 

コミュニティに関しては、いつもヴァル研究所の新井さんと話しているあれですが、コミュニティへの還元を強く意識するフェーズになりました。

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結果的に、今までは既存のコミュニティや団体に参加者、登壇者、スタッフとして活動をしてきましたが、それもかわってきました。小さい単位で言えば、社内のイベントとしての活性化、もっとオンデマンドで集まりたい人が集まる場としてのコミュニティの立ち上げ、自分のこれまでの知見を広く自由に届けるためのユニット結成やスタンスみたいなものを身に着け、カタチにしてきました。

 

社内でいえば、NRIでいえばNRI初のアジャイルジャパン企業内サテライトの実現、レバレジーズでいえば旅するアジャイル本箱企画やカイゼン・ジャーニーの会の開催などです。

 

コミュニティの立ち上げという意味では、渋谷界隈の企業で連合してBIT VALLEY -INSIDE-というコミュニティを立ち上げました。これは、僕らなりの社会への反骨的な活動です。

渋谷がBIT VALLEYといわれて久しいのに、未だに50歳を超えた人たちばかりが表に立っているのは違うだろう、と。そして、昔はエンジニア、ITの街だったかもしれないけれど、今の時代は職種とかそういうもので区切られるのではなく、シュリンクしてサービスの街だろう、ということで、エンジニアに限らず経営者、マーケター、デザイナーなどなど若者みんなのためのネットワーキングとアウトプットの場として始めたのでした。

ようやく一年やってみて、年間開催が15回とそこそこ軌道にのってきたところです。最終的には、運営に名を連ねている渋谷界隈の企業の企画ではなく、自主的な活動のプラットフォームとして若者に使ってもらいたいという目標をもっています。そこまではもう少し時間がかかりそうですが、これはオンデマンドの会として機能している一つだと思います。

 

もう一つ、.Insuranceという保険xアジャイルという組み合わせでディスカッションをする場も立ち上げました。

2年前?くらいに当時NITにいた中野さんがアジャイルジャパンのプチイベントとして金融系イベントを開催していましたが、それをより身近に、よりテーマを絞って活動する場所になります。

よく3周遅れといわれる日本のアジャイルですが、しかも牛歩な金融系においてなにかできるのであれば、僕も惜しみなく協力していきたいなと思っています。

 

ユニットとしては、黄色い人として有名になりましたが、プロジェクトマネージャ保護者会として活動、スクラム界隈やアジャイルジャパンを始め、ISACA(情報システムコントロール協会)のイベントに立たせてもらったりすることで、プロジェクトマネジメントについて改めて提言できているかなとも思います(最近は出版チームになっている感もありますがw)。

 

スタンスというのは非常に曖昧ですが、僕は特にどこにも書いていないですが、渋谷のサービサーに来てから、スクラムの駆け込み寺@渋谷を勝手に標榜しています。ちょっと相談いいですか?という連絡が来たらいつでも相談にのる活動もしています。他社さんがたくさん来てくれるのですごく自分自身にも刺激になりますし、少しでもみんなで社会を変えていけたらいいなと思っています。

 

そういえば、今年は大学講師のお仕事もいただけました。僕自身は遠い未来でいいのですが、教育分野に関わりたい気持ちが強かったので、一つ夢がかなった30代でしたね。

総じて、必要なものを必要なところに用意すること、機会を提供することに終始してきた30代だったかなとも思います。

年が明けたら39になりますが、39の一年間も、コミュニティに、会社に、社会に還元していく仕掛けづくりをしていきたいと思います。

 

40代の生き方を考える

孔子曰く、「三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る」とのことです。

なんとなく、30代で自分という看板でイキルチカラをだいぶ確立できた部分もあるし、あと一年でしっかり立ちたいなと思います。

さて、40は惑わない。。。どうなるんでしょうね。

ただ、僕は自分がスーパーマンタイプでも超万能キャラでもないと自覚しているので、人と人をつむぎながら、みんなで高みを目指せたらいいなって思っています。

ちょうど技術的な領域も大きくキャズムを超えるタイミングを迎えようとしています。それはそれとしてチャンスとして、みんなが最&高になれる世界を作っていくことは惑わずやっていきたいなと思います。

 

終わりに

Social change starts with youの訳は、世界を変えるのは俺達だ!と読むことにしました。

俺たちが主役だ!