久しぶりの更新になりましたが、ついでにはてなダイアリーからはてなブログに変更し、取得して放置していたドメイン変更も実施しました。
なので、こちらのURLがhttps://blog.samuraikatamaris.redになっております。
さて、心機一転のテーマは転職です。
12年間勤めた野村総合研究所(NRI)を6/14に退職し、6/15からレバレジーズ株式会社に転職しました。
3年の富士通時代を含めると、15年、SIerに勤めてきた僕ですが、とうとうサービサーに移籍です。
NRIという会社はとてもいい会社だったと思います。
富士通時代の最後あたりの上司は、去年までのアジャイルジャパン実行委員長の和田さんでした。
メーカーの縛りっていう枷を外したくて、ベンダーフリーのSIerとしてNRIを選択しましたが、同時に当時富士通でアジャイルを啓蒙しだしていた和田さんの影響も強く受け、NRIでアジャイルの狼煙をあげてやる!という気持ちをもって移籍したことを今でも強く覚えています。
当時は世の中の認知とは大きくずれますが、NRIという会社も異常なまでの保守的な会社で、新しいことへのチャレンジもほとんどみられなかったというのが最初の印象です。
僕自身は、XPからアジャイルに入った人間なので、開発のやりかたなどにすごく拘ってトライしていた初期だったと思います。
とはいえ、XPJUGを中心としたコミュニティに既に足を突っ込んでいたこともあり、会社でのそれ自体は、苦ではありませんでした。
NRIはプライムベンダーになることが多く、大規模の開発案件を、単価の安いパートナー社を使うことで、大きな利ざやを稼ぐビジネスが主です。
となると、必然的に開発にはNRIの意のままに動いてくれるパートナー社が優遇され、このあたりが一番大きなアジャイルへの道の障壁だったなと思います。
それでも、当時から僕を異端児として、生温かく見守ってくださった上司たちのおかげで、大規模ウォーターフォールを得意とする会社の中で、少しずつ少しずつアジャイルらしさを取り入れてきた12年だったと思います。
僕の中では、今なおアジャイルだろうがウォーターフォールだろうが正直その区分で論じられるのは甚だ癪で、結果出せばいいんだろ!って思っています。
ありがたいことに、12年のうち、メイン業務については、ほぼ3年周期でアプリ担当、基盤運用担当、マネージャとさまざまな経験をし、最後の3年は別のプロジェクトに移って、さらに開発からマネジメントまでを一手に率いる立場に携わらせてもらいました。
もちろん、幾多の困難はありましたし、涙したこともありましたが、幸いにして満足する結果を自分なりには得てきたと思っています。
そういう意味で、マネジメントが売りの会社でマネジメントを体得するということに関しては、個人的に合格点をあげられるかなと思っています。
また、メイン業務以外に、採用のお手伝いや大規模提案、他プロジェクトのコンサルティングや若手の勉強会や育成にも関わることができ、正直一つの業務で手一杯と言うこともなく、飽きることなしに日々を過ごせたのは幸せなことだったと思います。
特に最後の年は、元上司(現役員)が在籍していた別の本部で、顧問業をさせてもらい、まさにコミュニティの経験を活かした、スクラム適用や研修プログラムの検討、啓蒙資料の作成などなどにも関わり、僕がこの会社でやりたかったことが形にもなったと思います。
その集大成として、2017年度は大きく動きました。
外部登壇を社名を出し、広報を通して毎月1回以上行い、アジャイルジャパンやRegional Scrum Gathering Tokyo、XP祭りやPOStudy、DeveLOVE関西、DevOps Days Tokyoなどへの進出も果たしました。
そして、2018年2月、アジャイルのアの字も感じられなかった会社で、アジャイルジャパン企業内サテライトを開催。100人以上の人を集め、全社イベントとして永和システムマネジメントの平鍋さんやアトラクタの吉羽さんなどを招き、大成功を収めました。
僭越ながら、大御所の面々の間に社内から僕自身も登壇させてもらいました。
そして、迎えるアジャイルジャパン2018、スポンサーのページをみてもらえればわかると思います。NRIがとうとうゴールドスポンサーに名を連ねるに至ったのです。
僕がNRIに入るときに、アジャイルの狼煙をあげてやる!というものは十分に達成できたと満足できた瞬間でした。
こういったある種の達成感に満たされ、新たなチャレンジに出るときが来たな、と感じたのが今、ということになります。
新しい会社はベンチャーというにはかなり大きくなりすぎていますが、まだまだ制度もなにもかもが行き届くレベルには至っていません。
平均年齢も25前後というとても若い会社です。
僕自身、今年38を迎えるという意味では、この会社ではかなり年寄りの部類には入りますが、15年の大企業で培った業務、技術、マネジメント、そしてコミュニティの経験というものはきっと活かせるのではないかと思っています。
実は、最近になって、昔から平鍋さんが口にしていた"QoEL(Quality of Engineering Life)を高める"という意味がようやくわかってきたような気がしています。
僕自身、がむしゃらにやることがそれなのかなと思って過ごしてきましたが、今はエンジニアみんなのQoELを高めるお手伝いがしたい、と思うようになりました。
歳を経たからというのもあるでしょうが、そういう役回りにまわりたいなという想いが強くなったのです。
そう考えると、なおさらすべてができあがって、完成された会社ではあまりそういうことができないのでは?ということでベンチャー選んだという流れです。
もちろん、社長ともたくさん話をして、社員の方々ともたくさん話をして、僕を必要としてくれ、未来を語れたというのが大きかったのは言うまでもありません。
先週の金曜からの入社で、錆び付いた刀を抜き、久しぶりにプロダクションコードを書いてみたり、初めて書いたPHPがあっという間に本番にあがっていったり、社内の変革者たちからランチやミーティングに借り出されたり、全然わけわからない状況ですが、かつてのメンバーや家族に言わせると、楽しそうにしているとのことです。
不慣れな中でプレッシャーもあるし、緊張もある中ですが、きっと充実しているのでしょう。
今回、レバレジーズでの自分のやりたいことは、社員のQoELを高めること、そして、テラテイルやヒカラボという若干まだ知名度の薄い活動ですが、コミュニティライクな社会貢献をしている企業なので、そこと自分のコミュニティとのつながりや経験をマッシュアップすること、この二つが大きなものです。
転職にあたっては、ありがたいことに、たくさんの企業の方、お友だちが声をかけてくれ、非常にステキなオファーをいただいたこともありました。
結果的に、この会社を選んだからには、オファーをくださったみなさんにも納得してもらえるようなそんな結果を残したいなと思います。
時間はかかるかもしれませんが、毎度のことながら生温かく見守ってもらえれば幸いです。
そして、こんなわがままな決断を許してくれた家族にも最大限の感謝を送ります。
最後に。
NRIでつながったみんなはとてもステキな人たちでした。
それに、巷でも有名な高給なことも本当だし、福利厚生含めてすごく充実しています。
とても頭のいい人たちの集まりでしたし、なによりこんな僕を受け入れ、かわいがってくれ、ちやほやして好き勝手やることを許し、ともに喜んでくれました。
すごくありがたかったです。
これから僕はもっとエンドユーザに近いところでビジネスをし、自分の力をその現場で試したいと思って新たなチャレンジをします。
僕のようになってほしいなんて微塵も思わないですが、どこにいても、自分らしさを失わずに好きなことをやって、自分だけでも自分を誇りに思えるそんな人になっていってもらえたらと思っています。
昨日もNRI時代のプロジェクトのお客さんやステークホルダーとの飲み会でした。
来週は金曜日にMMビルの勉強会に行きます。
会社が変わっても、僕の気持ちは何一つ変わっていません。
これまでと変わらず、仲良くしてくれたら幸いです。
NRIのみなさん、愛しています。
ありがとうございました。
弥栄