侍れっどの明日できることは明日やれ

徒然なるままに筆を書き連ねます。

慣れの果て

漢字が違うのは知っての狼藉なので悪しからず。
一月半自分の母親が産後の手伝いに来てくれてとても世話にはなったのだが、改めてわかったことが一つ。
子どもはいくつになっても子どもなんだろうが子どもは今も成長(退化?)を独立して続けるものなんだろうなということ。
故にかつて知る子どもではないのだろう。
こんなに母親と話す時間があったのはもう15年以上前な気さえするわけだが、こちらに来ていた間も僕とというより奥様経由で聞いた会話がほとんど。
この先もどれだけあるのかわからんね、親との会話というのも。
その少ない中でも今回母親が思う僕の感性は割と正しくなかったし、食べ物に対する感覚(味も含めて)も子どもに対する接し方もだいぶずれてた。
正直びっくりするくらいね。多分お互い様だと思うけど。
でも、きっとレオレオはどこか通じるところを感じてくれたようでとてもすなおに馴染んでくれたのは幸い。

また逆に両親が早30年一緒にいるんだがやはり夫婦は似るのだな、と。
なかなかいろいろ生きるって変わることなんだなと、そして夫婦・親子というのはそういうものなのだなと理解した先週までの振り返り。

最後になるけど単身来てくれた母と送り出してくれた父に感謝。